静岡地方裁判所 平成10年(わ)748号 判決 1999年3月31日
本籍
《略》
住居
《略》
無職
甲野二郎
《生年月日略》
右の者に対する商法違反、証券取引法違反被告事件について、当裁判所は、検察官大西平泰並びに弁護人(私選)橋本正夫(主任)及び同髙田敏明各出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役3年に処する。
この裁判確定の日から5年間右刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、平成元年8月11日から平成9年1月10日までの間、静岡県沼津市岡宮1256番地の1に本店を置き、スーパーマーケットの経営等を目的とする株式会社ヤオハンジャパン(平成3年11月の変更前の商号は株式会社八百半デパート)の代表取締役社長として同社の業務全般を統括していたものであるが、
第一 同社の第35期の営業年度(平成7年4月1日から平成8年3月31日まで)の決算を行うにあたり、別紙修正貸借対照表のとおり、真実は同期において繰越損失を含めた未処理損失があって配当可能利益は皆無であったにもかかわらず、同社の信用を維持し、証券市場及び金融機関からの資金調達を容易にするなどの意図の下に、法令に違反して株主に対して利益の配当をしようと企て、経営指導料名目の架空の利益を計上するなどの方法により、利益を水増しさせて架空の繰越利益、当期利益を計上した損益計算書、貸借対照表及び右架空利益を基として1株につき8円25銭の割合で利益の配当を行う旨を記載した利益処分案を作成し、平成8年6月27日、同市寿町7番37号ブケ東海において開催された定時株主総会においてこれを提出して承認可決させ、そのころ、配当金8億9622万5140円を支払い、もって違法な配当をし
第二 同社の第36期の営業年度(平成8年4月1日から平成9年3月31日まで)中において、真実は最終の決算期に繰越損失を含めた未処理損失があって、株主に分配可能な剰余金は皆無であったにもかかわらず、前同様の意図の下に、法令に違反して株主に対し金銭の分配をしようと企て、平成8年11月18日、同県熱海市上多賀字白石967番地の38ヤオハン迎賓館で開催された取締役会において、前同様の方法により、最終の決算期における架空の繰越利益等を計上したことを基とし、1株につき4円50銭の割合で金銭の分配を行う旨を提案して可決させ、そのころ、分配金4億8884万8039円を支払い、もって違法な金銭の分配をし
第三 同社の業務に関し、同社の前記第35期の決算の実際は当期未処理損失金が126億4170万5031円であったのに、経営指導料名目の架空の利益を計上するなどの方法により、128億8782万4086円を過大に計上して当期未処分利益金が2億4600万円であったように虚偽の記載をした貸借対照表、損益計算書及び利益金処分計算書を掲載した同期営業年度の有価証券報告書を作成した上、同報告書を、平成8年6月28日、東京都千代田区霞ヶ関3丁目1番1号大蔵省において、大蔵大臣に対して提出し、もって重要な事項につき虚偽の記載をした有価証券報告書を作成して提出し
たものである。
(証拠の標目)《略》
(法令の適用)
被告人の判示第一及び第二の各所為は、いずれも行為時においては平成9年法律第107号による改正前の商法486条3号に、裁判時においては右改正後の同法489条3号に、判示第三の所為は、行為時においては平成9年法律第117号による改正前の証券取引法207条1項1号、197条1号(24条1項)に、裁判時においては平成10年法律第107号による改正後の同法207条1項1号、197条1項1号(24条1項)にそれぞれ該当するが、右はいずれも犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条、10条によりそれぞれ軽い行為時法の刑によることとし、各所定刑中いずれも懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法45条前段の併合罪であるから、同法47条本文、10条により刑及び犯情の最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し、情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から5年間右刑の執行を猶予することとする。
(量刑の理由)
一 本件は、株式会社ヤオハンジャパン(以下、株式会社について再出する際は原則として「株式会社」を省略する。)の代表取締役社長であった被告人が、<1>同社第35期期末決算(平成8年3月期)にあたり、配当可能利益は皆無であったのに、粉飾決算の上、約8億9600万円の違法配当をし、<2>同社第36期中間期(同年9月期)に、株主に分配可能な剰余金は皆無であったのに、右粉飾決算を基に、約4億8800万円の違法な中間配当をし、<3>同社第35期の有価証券報告書に、架空の利益計上等で約128億8700万円の粉飾をした計算書類を掲載し、これを大蔵大臣に提出したという事案である。
二 本件犯行に至る経緯等は、次のとおりである。
1 ヤオハンジャパンの概要
ヤオハンジャパンは、静岡県沼津市内に本店を置き、総合スーパーマーケットを経営して、生鮮、加工食品を中心に、衣料及び家庭雑貨等の小売販売を行うことを主たる業務とし、このほか、ディスカウントストアの経営、店舗賃貸の不動産事業等も付帯して営んでいたものであるが、平成9年9月18日、静岡地方裁判所に会社更正手続の開始を申し立て、同年12月18日、同裁判所により更生手続開始決定を受けた。更生管財人の調査によれば、右申立時の資本金は約236億円であり、負債総額は、約1858億円(内、関係会社等の債務に対する保証債務が約623億円)に上った。
ヤオハンジャパンは、この時点で、国内に直営店42店、子会社及び関連会社等合計約40社を、海外にも、直接出資している子会社及び関連会社約20社を有し、その他にも、ヤオハンジャパンの出向社員が役員を務めるなどの多数の人的関連会社を有していた。
2 ヤオハンジャパンの沿革、被告人の経歴、粉飾の背景等
(一) 被告人は、昭和6年2月、父甲野太郎及び母花子の次男として出生した。太郎夫婦は、当時、静岡県熱海市内で青果物販売業の八百半商店を営んでいたが、昭和23年、これを法人化して株式会社八百半商店とした。被告人は、横浜国立大学経済学部を卒業した後の昭和30年4月、同社に常務取締役として入社し、太郎夫婦、その長男甲野一郎(以下「一郎」という。)らとともに同社の業務に参画した。昭和31年、同社は、旅館相手の掛売販売から、一般消費者相手の現金正札販売、セルフサービス方式に営業形態を転換したことが契機となり、売上を大きく伸ばした。
(二) その後、右会社の営業は株式会社八百半デパートに引き継がれ、昭和37年、一郎が同社代表取締役社長に就任した。一郎は、社長就任後、同業他社に先駆けて海外を目指し、昭和46年ブラジル、昭和49年シンガポールと各進出し、昭和51年にオイルショックによる経済不況でブラジル店が倒産して一時的な停滞はあったものの、昭和54年にコスタリカ及びアメリカに進出して海外展開を再開し、昭和59年香港、昭和62年マレーシア、昭和63年台湾へと進出先を拡大し、国際流通グループヤオハン(以下「グループ」という。)を築き上げた。この間、日本国内での事業も拡大し、静岡県全域及び県外に、直営店、フランチャイズ店を多数開設したほか、百貨店事業への進出(ネクステージ事業)や子会社設立による事業の多角化等を積極的に押し進めるなどした。この結果、八百半デパートは、昭和57年名古屋証券取引所第2部上場、昭和59年同第1部指定替え、昭和61年東京証券取引所第1部上場を果たしている。
(三) 一郎は、平成元年、八百半デパートの代表取締役社長を被告人に譲ったものの、香港にグループの基幹会社としてヤオハン・インターナショナル・カンパニー・リミテッド(以下「YI」という。)を設立し、その会長兼社長に就任してグループ代表に君臨し続け、平成2年にはグループ総本部を香港に移転した。このため、八百半デパートは、グループの日本国内部門の基幹会社へとその役割を変え、平成3年、商号を株式会社ヤオハンジャパンと変更した(以下、商号変更の前後を問わず「ヤオハンジャパン」という。)。この機構改革に伴い、一郎、被告人のほか、四男甲野四郎、被告人の従弟乙山正夫及びヤオハンジャパン副社長丙川和男がグループ各社を地域別に担当し、これらで構成されるグループ最高会議で協議された方針に従い、グループは運営されることとなった。
一郎はグループ代表であるとともに、香港及び中国事業を担当し、さらに積極的な事業展開を進め、平成5年、関連会社を香港株式市場に上場させ、平成7年、東洋最大の百貨店を謳ったネクステージ上海を開店し、平成8年には総本部を上海に移転し、グループ名を世界市民企業グループ八佰伴と改称するなどし、中国への進出を本格化させていった。
(四) このように、ヤオハンジャパン及びグループとも、表向きは順調に業績を伸ばして拡大、成長し、国内の地域スーパーから国際流通企業へと華やかな大躍進を遂げているかに見えたが、その内実においては、以下のような問題を抱えていた。
(1) ヤオハンジャパンを含め、グループは、創業者である甲野家一族の完全な支配の下で運営され、中でも、一郎は、長兄であり、八百半デパートのころからカリスマ的指導力によりグループの急成長を導いてきたため、絶対的な発言力を有していた。
一郎は、バブル経済等を背景に金融市場から容易に資金調達ができたこともあって、前記(二)(三)のとおり、国内外において、性急な事業拡大路線をとり続け、被告人がヤオハンジャパンの社長に就任した際には、既に一郎によって、国内外の大型事業案件が策定済みで、巨額な資金が投じられ、更に追加の投融資が予定されていた。被告人は、グループにおいて、副代表として一郎に次ぐ地位にあり、主に国内部門を統括する立場にあったものの、一郎の意向に反した場合には自らの地位を失う恐れもあったため、一郎の首唱する拡大路線を踏襲し、既存の大型事業計画を継承したほか、自らも積極的な事業展開を図った。
(2) また、ヤオハンジャパンは、グループ総本部の香港移転後、国内部門の基幹会社と位置づけられたが、なおもグループの中核企業として、これを資金面から支える役割を担わされた。グループ各社は、ヤオハンジャパンから事業資金を直接投融資され、あるいはヤオハンジャパンの債務保証等の信用供与によって資金を調達するなどしていた。特に、ヤオハンジャパンは、株式を東京証券取引所に上場した昭和61年から、転換社債や新株引受権付社債(ワラント債)といった新株発行を伴う資金調達(エクイティファイナンス)を重視し、同年から平成5年までの間に、ワラント債3回、転換社債6回を各発行して総額1000億円を越える巨額な資金を調達したが、その多くは国内外の大型事業の展開に投じられた。
(3) ところで、転換社債は、社債権者の転換権行使によって、社債が株式に転換する結果、自己資本が増加する一方で社債の償還が不要となるものであり、ワラント債では、社債の償還義務は残存するものの、社債権者の新株引受権行使によって自己資本が充実するというもので、企業にとって極めて有用な資金調達方法である。加えて、一郎は、銀行からの融資と異なり、資金運用、使途について干渉を受けない点にも魅力を感じていた。しかし、エクイティファイナンスを行うには、企業の業績を上げるとともに財務の健全性を保ち、高株価を維持し、信用調査機関による債券の格付けを一定水準に保つことが不可欠の前提となる。このため、ヤオハンジャパンでは、1株当たり年間16円50銭の安定配当を維持する旨公約し、エクイティファイナンスで潤沢な資金を調達し、併せて、金融機関の信用を保ち、ヤオハンジャパンへの融資、ヤオハンジャパンの信用供与によるグループ各社への融資が円滑に進むことを至上命題とした。
(4) しかし、国内外の大型事業の展開は、いずれも市場調査不十分なまま、一郎の直感的経営判断に頼ったものであったため、一旦は成功したかに見えたものも、長期的には、金融情勢、経営環境の変化、消費動向等を把握できずに不振に陥り、巨額な投融資に見合う利益は上がらなかった。すなわち、ヤオハンジャパンが海外各国に設立した多数の子会社及び関連会社は、他業者との競争激化、消費の冷え込み等により経営が悪化し、殊に、台湾、アメリカ、ロンドン、タイの各店舗は不振を極めた。国内においては、平成2年9月に開店した百貨店形態のネクステージ半田が、出店先の消費動向の見通しの甘さ、採算性や効率性を無視した店舗建設等のため、開店当初から巨額の赤字を計上し続けた。これら海外子会社等及び国内百貨店の業績不振は、投下資金の滞留と更なる融資による有利子負債の増大、関連会社等に対する債権の不良化、ヤオハンジャパンが保有する関連会社等の株式の価格下落を招いた。他方、本業であるスーパーマーケットなどの国内店舗は、これまで不採算事業の損失を補ってきたが、再投資や整備を疎かにしたため競争力が低下し、バブル経済崩壊後の消費低迷もあって、収益がさほど伸びなかった。
以上の諸要因から、ヤオハンジャパンは、平成2年ころから、既に負債や累積する損失を抱え、前記公約どおりの配当を行うことは困難となっていた。しかし、被告人は、これを公表して減配などすれば、ヤオハンジャパンの対外的信用を失墜させ、エクイティファイナンスによる市場からの資金調達はもちろん、金融機関からの新規融資、既存融資の借換え、更にはグループ関連各社への信用供与等が不可能となり、ヤオハンジャパンはおろか、これが支えているグループも破綻し、また、自己も一郎によって社長の座を追われるなどと危惧し、後記3のとおり、同年ころから、様々な粉飾を継続的に行い、第30期期末決算(平成3年5月期)には過去最高の約56億円の経常利益を計上して、前記公約どおりの配当を続け、健全経営を装った。
(5) しかも、平成5年ころには、ヤオハンジャパン及びグループに融資を続けてきたメインバンクにおいて、グループが融資金の使途を明らかにしないまま海外に巨額の投資をしており、回収見込み等の情報を把握できない、YIがリスクを省みずに中国進出に傾斜し過ぎているなどとして強い不信感を抱き、ヤオハンジャパンとメインバンクとの関係も悪化した。このため、ヤオハンジャパンは、銀行から新規融資や借換えを拒否されるなどして資金調達に支障を来し、ノンバンクから金利の高い借入れを余儀なくされ、更にエクイティファイナンスに依存する姿勢を強めた。しかし、バブル経済崩壊後の株価低迷もあって、株式への転換が進まず、転換社債の発行時には予想もしなかった多額の償還義務が累積したばかりか、新たなエクイティファイナンスも容易には行えなくなっていた。
(五) 以上のような状況から、平成6年ころには、借入金等の巨額の有利子負債や、出資又は融資した関連会社の累積損失等のため、グループ全体が赤字状態に陥っていた。被告人は、強い危機感を覚え、進行中の大規模投資案件を中止し、小規模投資で、早期の資本回収が見込める小型スーパーマーケットを出店するなどの改善策を講じたが、逼迫した財政を賄うには至らず、第34期期末決算(平成7年3月期)では、連結ベースで初の赤字決算となり、平成8年以降は、ワラント債や転換社債の償還原資に窮するほどの資金不足に陥った。第36期中間期(同年9月期)には、やむなく、従来1株当たり8円25銭としていた中間配当を4円50銭に減額し、被告人は、創業以来初の減配の責任をとり、平成9年1月10日、代表取締役社長を退任した。ヤオハンジャパンは、その後、熱海店等のスーパーマーケット16店を売却し、急場を凌いだものの、これら主力優良店舗の売却が、ヤオハンジャパンに対する信用不安を煽り、取引業者の納品停止という事態を招き、遂に資金繰りに行き詰まり、同年12月18日更生手続開始決定を受けて、事実上倒産した。
3 本件粉飾の態様等
当裁判所が認定したヤオハンジャパン第35期期末決算(平成8年3月期)中の約128億8700万円(別紙修正貸借対照表中<1>ないし⑯)の粉飾決算の基となる、被告人の行った粉飾行為の態様等の概要は、以下の6種類である。
(一) 株式会社ネクステージの預かり保証金債務等の隠蔽
(1) ヤオハンジャパンは、平成2年9月、ネクステージ半田を開店したものの、開店当初から大幅な赤字を計上し、年間約30億円もの損失発生が見込まれた。しかし、それでは、健全な配当性向(収益のうち株主に配当として支払われる部分の割合)を維持しつつ、1株当たり年間16円50銭の配当を実施するのは不可能であり、また、ネクステージ事業は、一郎自らが陣頭に立って推進した百貨店事業である上、既に約137億円もの投資をしていたことから、被告人としては撤退することもできなかった。そこで、被告人は、ネクステージ半田の経営を開店当初から実態のないペーパー会社である株式会社ネクステージ(以下「ネクステージ社」という。)に委託していたかのように装い、ネクステージ事業から生じる損失を、ネクステージ社に対する立替金等として計上することにより、隠蔽した。また、同年11月20日(第30期中間決算日)には、ネクステージ半田に出店したテナントからヤオハンジャパンに預託された預かり保証金合計1億3068万1000円をネクステージ社に移し替えた。
(2) ネクステージ半田の業績はその後も伸びず、ヤオハンジャパンからの貸付金のほか、仕入れや人件費等のヤオハンジャパンによる立替金が累積し続け、巨額な不良債権と化していった。このため、平成4年9月ころには、ネクステージ社に対する多額な不良債権が監査法人に問題視され、貸倒引当金計上による償却を迫られた。そこで、被告人は、平成5年3月、オリックス株式会社からネクステージ社名義で10億円を借り入れ、これによって、同社のヤオハンジャパンに対する負債が一部返済されたかのように装った。
(3) さらに、被告人は、テナントの負担すべき預かり保証金の代払いをする金融商品に着目し、平成5年10月から平成6年3月にかけて、実態のないペーパー会社である株式会社新世紀などを利用し、日本信販株式会社及び芙蓉総合リース株式会社とネクステージ社名義でそれぞれ契約し、合計25億0247万7600円の預かり保証金の預託を受け、これによって、ヤオハンジャパンに対する残債務や、右(2)のオリックスからの借入金の一部が返済されたかのように装った。
(4) 以上のとおり、被告人は、ネクステージ社を利用し、テナントからの預かり保証金(前記(1))、オリックスからの借入金(同(2))及び日本信販等からの預かり保証金(同(3))の各負債を、簿外に隠蔽して粉飾した。
(二) 経営指導料名目による架空利益の計上
ヤオハンジャパンは、その子会社であるヤオハン開発株式会社に新店舗開発の業務を委託し、これに要する費用を建設仮勘定等の資産勘定に計上し、費用の繰り延べを図っていた。また、ヤオハンジャパンやヤオハン開発では、新店舗出店の際、当該店舗の開店準備や開店後の経営についての指導、社員教育を関係業者に行い、その対価を徴収していた。被告人は、平成5年8月ころ、これらに目を付け、ヤオハンジャパンが経営を指導した事実もないのに、経営指導料の名目で架空の利益を計上することとした。すなわち、<1>ヤオハン開発や協力業者に対し、架空の開発費、工事代金等の名目で粉飾資金を提供する(この出金が自己資金の場合は、建設仮勘定等として資産勘定に計上し、ヤオハン開発等からの借入れによる場合は簿外とされた。)、<2>この粉飾資金は、更にいくつかの協力業者を経由するなどして、最終的に香港の協力業者から、経営指導料の名目でヤオハンジャパンに還流させ、架空利益として計上された。被告人は、このような方法により、第33期中間決算(平成5年9月期)から第35期期末決算(平成8年3月期)までに、前後5回にわたり、合計15億9000万円の利益を架空計上して粉飾した。
(三) 土地の仮装売買による売却益の計上
ヤオハンジャパンは、その保有する愛知県岡崎市上地の宅地及び保安林を、平成4年3月に約30億円で他へ売却し、簿価との差額約13億円を売却益として計上していたが、平成5年7月、右売買契約が合意解除となり、第33期中間決算(平成5年9月期)で右売却益等約16億円を前期損益修正損として計上せざるを得なくなった。しかし、ヤオハンジャパンでは、新規店舗の設備投資や海外関連会社に対する出資、貸付け等のために、総額約200億円の無担保転換社債の発行を計画していたところ、右全額を損失計上すれば、当期損失が発生し、ヤオハンジャパンの信用が失墜して転換社債の発行は不可能になると予測された。そこで、被告人は、同年9月、見せ金で、実態のない上地開発株式会社を設立し、これに右土地のうち宅地部分を約22億円で仮装売却し、簿価との差額10億5117万0638円を架空の不動産売却益として計上し、粉飾した。なお、右架空売却の代金相当額は、全国共済農業協同組合連合会(以下「全共連」という。)から、ヤオハンジャパンの子会社であるテーエーシー株式会社名義で26億円を借り入れ、これをYIの子会社である株式会社ヤオハンインターナショナル札幌(以下「YI札幌」という。)、上地開発と順次架空の融資契約を締結して送金し、手当した。その後の平成6年3月、上地開発名義で住銀リース株式会社から23億円を借り入れ、これらで全共連に全額弁済するとともに、右23億円の負債を簿外に隠蔽した。
(四) 所有店舗の仮装売買による売却益の計上
被告人は、第33期中に、累積損失を抱えた関連会社を期末決算(平成6年3月期)までに整理し、これらに対する不良債権について貸倒引当金を計上するよう監査法人に求められた。しかし、それでは、当期損失が生じるのは必死であって、前記(三)のとおり、新たな無担保転換社債の発行を予定していたため、そのような信用失墜は何としても回避したかった。そこで、被告人は、平成6年3月、ヤオハンジャパン所有のヤオハン熱海店をYI札幌に38億円で仮装売却し、簿価等との差額24億2288万5541円を固定資産売却益として架空計上した。この架空売却の代金相当額は、野村ファイナンス株式会社から、YI札幌名義での借入れによって賄い、この借入金債務を簿外に隠蔽した。
(五) ヤマナカ株取得にかかる雑損失の隠蔽
(1) 被告人は、愛知県方面への事業展開の一環として、平成元年8月ころ、中堅スーパーである株式会社ヤマナカとの業務提携を企図し、同社のスイスフラン建て転換社債を秘密裡に買い占めることとした。そこで、ヤオハンジャパンの資金を、子会社であるヤオハンファイナンス株式会社、更にその海外子会社であるヤオハンファイナンス香港に順次貸し付けて送金し、同社からスイスのヘンチ銀行(その後、ダリエヘンチ銀行に名称変更)系列の投資顧問会社SFERに貸付け、更に同社が設立したペーパー会社を経由させるなどしてヤマナカの転換社債を大量に買い進めた。しかし、その後、ヤマナカが、この買い占めを察知し、平成3年1月ころ、右転換社債の強制買入償還の動きに出たため、被告人は、やむなく、購入していた転換社債を株式95万1000株(以下「本件株式」という。)に転換させ、ダリエヘンチ銀行名義で保有することとなった。
(2) ところで、ヤオハンファイナンス香港の監査法人は、かねてから同社のSFERに対する信託貸付けの実態が不明朗であるとして問題にしていたが、平成5年ころには、これを明らかにしなければ監査証明を出さないとの強硬な態度に出た。また、同年9月ころには、ヤマナカ株の大量買いはヤオハンジャパンによるものであることがヤマナカ側に突き止められ、業務提携交渉を有利に進めるためには、本件株式を自社名義にして保有する必要が生じた。しかし、前記(1)の取引の過程でダリエヘンチ銀行等に19億7300万円の損失が発生しており、これを清算しなければ、ヤオハンジャパンは本件株式の名義を取得できなかった。しかも、ヤオハンジャパンにおいてこれを補填して損失計上すると、第33期期末決算(平成6年3月期)で当期損失が発生するのは明らかであり、当時、同年8月発行予定で準備をしていた200億円の無担保転換社債の発行は不可能になると予測された。そこで、被告人は、金融機関から簿外で融資を受け、右損失の補填に充ててこれを隠蔽することを企て、同年3月、ダリエヘンチ銀行から本件株式を時価で買い取るとともに、全共連からテーエーシー名義で20億円を借り入れ、これを損失補填分として送金した。その結果、SFERとヤオハンファイナンス香港間も含め、前記(1)の送金関係は全て清算された。こうして、被告人は、ヤマナカ株取引に伴い発生した19億7300万円の雑損失及び右20億円の債務を隠蔽し、粉飾した。
(六) 私募投信受益証券の売買による架空売却益の計上
(1) ヤオハンジャパンでは、かねてから保有有価証券の評価損への対応に苦慮していた。被告人は、平成7年8月ころ、ヤオハンジャパン取締役財務部長等から、外国で発行を認められている非公募の証券投資信託(私募投信)受益証券を利用して、有価証券の評価損を繰り延べて隠蔽し、同時に含み損を抱えていた国内投資信託を売却して運転資金を捻出する手法を提案され、これを実行することとした。
(2) そこで、ヤオハンジャパンは、同年9月、右保有株式をクロス売買したほか、投資信託を約32億円で売却し(以下「本件売却」という。)、簿価との差額約22億4000万円を売却損として確定した。そして、本件売却の代金によって、外資系銀行の系列会社から30億2070万円の私募投信(以下「本件投信」という。)を購入した上で、ペーパー会社であるアズベル・インターナショナル・リミテッド(以下「アズベル」という。)に対し、本件投信を、前記有価証券売却損等を上乗せした54億3240万円の価格で、仮装の売却と買戻しを同時に行い、24億1170万円の架空の有価証券売却益を計上し、粉飾した。
(3) さらに、本件投信に払い込まれた本件売却の代金約30億円については、同年11月、アズベル東京支店を経由させた上で、ヤオハンジャパンに対し、その関連会社への不良債権の購入名目で還流され、ヤオハンジャパンの資金繰りに充当された。なお、このころ、監査法人が、本件投信をそのまま保有する限り、第35期期末決算(平成8年3月期)で前記有価証券売却益約24億円の計上は認められない旨指摘したため、被告人は、本件投信を、平成8年3月、YI札幌に仮装売却し、前記売却益を維持して粉飾を続けた。
4 本件各犯行の状況等
(一) ヤオハンジャパンは、第35期期末決算(平成8年3月期)において、監査法人から、子会社及び関連会社に対する不良債権について貸倒引当金を計上し、ヤオハンジャパンが保有するこれら会社の株式についても評価減を行い、評価損を計上するよう強く指導された。しかし、被告人は、当時、同年12月に期限がくるドル建てワラント債の償還資金約117億円を、無担保社債の発行により調達しようと考えていたところ、右指導に従えば、約130ないし140億円の特別損失を計上することとなって、右社債の発行は不可能になると考え、監査法人の担当公認会計士と折衝を重ね、当期は約39億円の損失計上のみを行い、その余の約100億円については翌期に処理すればよい旨の了承を得た。そこで、本件粉飾により約128億8000万円の過大計上があり、実際には配当可能利益はなかったにもかかわらず、同年5月22日、取締役会において、1株当たり8円25銭の利益配当を行う旨の利益処分案の承認決議を得て、判示第一及び第三の犯行を敢行した。
(二) しかし、前記無担保社債については、引受先や保証先となってくれる金融機関が容易に見付からず、発行の目途が立たなかったところ、同年9月末ころ、一郎が大和銀行の元頭取と直接交渉し、協力獲得の糸口を得た。被告人は、大和銀行の支援を得るには、当時約128億8000万円の過大計上の粉飾があり、実際には分配可能な剰余金はなかったものの、ある程度の中間配当を行う必要があると考えた。そして、本件粉飾の全容を知らない取締役の中においてすら、前記(一)のとおり、期末に約100億円の損失計上を予定している以上、この段階での中間配当は商法等に違反するので無配にすべきである旨強い反対意見があったにもかかわらず、これを押さえ込み、1株当たり4円50銭の分配金を支払う旨の取締役会決議を取り付け、判示第二の犯行を敢行した。
三 特に考慮した事情
1 右のとおり、被告人は、健全経営を装ってヤオハンジャパンの対外的信用を維持し、その資金調達等の円滑化を図り、主としてヤオハンジャパン及びグループ全体の経済的破綻を防ぎ、併せて自己の地位を守るために、本件各犯行を敢行したものである。本来、企業経営者は、誤った経営判断や経営環境の激変によって財務状態が悪化した場合、公正妥当な企業会計原則の基準に従った決算を実施して企業財産の維持、管理に努める一方、債権者、取引先、金融機関等の理解と協力の下に、経営方針の転換やリストラ等の徹底した経営努力を行い、この危機を乗り切るべきものである。ところが、被告人は、グループ代表である一郎の積極的拡大主義の経営戦略を無批判に受け入れ、自己保身もあって、経営上の問題点の抜本的解決を先送りし、社会的存在である会社を甲野家の私物のように扱い、企業経営における麻薬ともいうべき粉飾決算に手を出し、ヤオハンジャパンとグループの当面の維持存続のみに汲々としていたのであって、その動機は、経営者倫理にもとる自己中心的で身勝手なものであるというほかない。
本件各犯行の基となった粉飾は、前記二3で概観したとおり、平成2年ころから、計画的に、極めて巧妙複雑な手段を用いて継続的かつ大掛かりに敢行され、その後の隠蔽工作も周到に行われた。これらのうち大部分は、被告人の積極的主導の下、その指示、依頼を拒否し難い部下や取引関係者多数を巻き込んだものである。しかも、これら粉飾を背景に、ヤオハンジャパンではかねてから違法配当や虚偽の有価証券報告書の提出が繰り返され、その果てに本件各犯行に至っている。
そして、本件各犯行のうち、商法違反事件(判示第一及び第二の事実)は、被告人が、第30期営業年度(平成3年5月期)から第35期営業年度(平成8年3月期)までの間に、継続して行ってきた粉飾決算を基に違法配当を敢行した事案であって、背景となった粉飾の概要は、本件にかかる事案だけでも粉飾額が合計約128億8700万円に上る規模の大きい犯行である上、被告人自身、その他の粉飾も含めると、総額200億円を越えると供述しているところである。殊に、第36期中間配当(判示第二の事実)は、商法等に触れるなどとして無配を強く主張する取締役の意見を押さえ込み、敢えて犯行に及んでいる。これにより、違法な配当金に加え、本来納付する必要のない法人税や粉飾の協力業者に対する手数料等を支出するなどして会社財産を流出させ、破綻の危機にあった会社財産を更に減少させた。その結果、倒産時の発行済株式総数が1億株を超える東証第1部上場企業で、国内外に多数の子会社、関連会社を有して幅広い経済活動を行ってきたヤオハンジャパンの、株主、社債権者、一般債権者、取引業者及び従業員ら多数の利害関係者に大きな打撃を及ぼした。
また、証券取引法違反事件(判示第三の事実)をみると、前記粉飾決算を基に、実態とは約128億8700万円も乖離した内容虚偽の有価証券報告書を提出、公表した事案である。不特定多数の投資家、一般債権者等の利害関係者を欺罔し、その判断を誤らせただけでなく、企業の経営内容を開示する有価証券報告書の意義を著しく害し、更には、証券の安全円滑な流通によって経済全体の発展を図る証券市場制度や株式会社制度の信用をも失墜させた。
このような犯行に至る経過、粉飾の規模、態様及び結果をみても、犯情は悪質である。
さらに、ヤオハンジャパンは、前記のとおり、幅広い経済活動を行うとともに、グループの華々しい海外進出によって一時はマスメディアの寵児となった著名企業であり、被告人はその最高責任者の地位にあったにもかかわらず、かかる企業とその経営者に課された重い公共的使命を敢えて無視して本件各犯行に及んだものであったことから、本件は、マスメディアによって大きく報道されて社会一般に強い衝撃を与え、商法等各種制度に対する国民の信頼を揺るがせた。
これらの点からすると、被告人の刑事責任は重い。
2 しかしながら、他方、本件商法違反の各犯行は、2営業年度内の2度の違法配当に過ぎず、その社外流出によりヤオハンジャパンに与えた直接の損害は合計約13億8000万円で、法人税等の形で流出したものを含めても約15億円であることからすると、本件が、従来の同種事犯に比較し、特に大規模で類をみないものであるとはいい難い。
また、粉飾及び違法配当の経緯をみても、一人、被告人のみに重い責任を負わせるには酷な面もある。すなわち、ヤオハンジャパン及びグループは、創業家の長男であった一郎が、強力なリーダーシップによって急成長させたものであり、その業績とカリスマ的指導力という威光ゆえに、実弟である被告人でさえ、異論を唱えるのは容易でなかったと認められる。そして、本件粉飾の背景となった過大かつ性急な事業拡大戦略は、被告人がヤオハンジャパンの社長に就任する以前に、一郎によって敷かれた既定路線であった。もとより、ヤオハンジャパンの最高責任者の地位に就いた被告人は、一郎の経営方針を正し、一刻も早くその財務体質の改善等を図るべきであったが、ネクステージ事業や海外事業に過剰なほどの自信と情熱をもって臨んでいた一郎に対し、その意向に逆らって経営方針の転換を迫るには相当な困難を伴ったであろうことも想像に難くない。また、ヤオハンジャパン破綻については、その主たる原因は無謀な事業の拡大であるが、バブル経済の崩壊による株価及び消費の低迷、金融引締め等の経営環境の激変も大きく影響していることは否定できない。
さらに、ヤオハンジャパンの会計監査を担当していた公認会計士は、被告人らによって、重要な会計書類を隠蔽、改竄され、粉飾の事実を明確に把握できなかったとはいえ、被告人らによる懇願、懐柔に妥協し、不透明な会計処理を見逃してしまった節が窺われ、社外において、公正かつ独立の立場で厳正に審査すべき公認会計士のかかる職務遂行態度は、粉飾を助長した一つの要因として、被告人の量刑に当たって考慮されなければならない。
被告人の自己保身、体面維持等の動機は、粉飾が重ねられるに連れて次第に希薄化しており、本件各犯行当時は、主に、ヤオハンジャパン及びグループの経済的破綻を防ぎたいというもので、その反社会性は到底容認できないものの、少なくとも私利私欲を意図したものではなかったといえる。被告人自身も、粉飾によるその場しのぎを決して良しとしていたわけではなく、良心の呵責を覚え、本業による増収を図って粉飾から脱するべく、遅まきながら、大型投資案件の中止、小型のスーパーマーケットの出店を行うなどの経営努力をしていたことが認められる。
以上に加えて、被告人は、平成9年春ころには早くも国税庁に粉飾事実を申告し、同年9月以降の会社更生手続、本件捜査、公判を通じて、一貫して犯行を素直に認め、深い反省、改悛の情も示していること、ヤオハンジャパンは、幸い破産を免れ、会社更生手続により、取引業者等関係者の支援を受けて再建に向かっていること、被告人を含む甲野兄弟等からヤオハンジャパンのために担保に提供された共有不動産が競売に付され、約2億5000万円で売却されるなどし、甲野一族の財産をヤオハンジャパンに提供していること、被告人は、現在は破産宣告を受け、私財提供はできないものの、将来収入の途ができれば、ヤオハンジャパンの再建のため、なお私財を提供する旨供述していること、被告人は、これまで前科前歴がなく、約40年にわたってヤオハンジャパン一筋に真面目に稼働し、同社の発展に多大な寄与をしてきただけでなく、社会福祉事業にも貢献してきたこと、本件により、その地位や社会的信用を一挙に失い、事件が大きく報道されるなど相応の社会的制裁を受けたこと、周囲には、本件を踏まえながらも、ヤオハンジャパンの大口取引先の経営者及び元部下が情状証人として出廷して証言した如く、なおも被告人の誠実な人柄、経営能力を高く評価する声が少なくないこと、その他被告人の健康状態等有利に斟酌すべき事情が認められる。
四 結論
以上の諸事情を総合考慮すると、被告人には主文掲記の刑を科し、特にその執行を猶予するのが相当であると判断した。よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役4年)
(裁判長裁判官 小川正明 裁判官 大熊一之 裁判官 安藤祥一郎)
別紙
修正貸借対照表
第35期 自 平成7年4月1日
至 平成8年3月31日
<省略>
<省略>